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ヒトからヒトヘ 幸せの連鎖を

「人生の99%が不幸でも、最後の1%が幸せなら、その人の人生は幸せなものになる。」

 

これは、フィリピンで出会ったシスターが教えてくれた言葉です。介護福祉は、お年寄りの余生を一緒に過ごし、人生の最期まで寄り添える唯一の仕事です。だからこそ、ご縁があって同じ屋根のした、ともに生活をされるお年寄りの日常を支え、支えられながら笑顔あふれる日々にしたいと思っています。​

ただ、利用者さまが楽しい日々をお過ごしいだく老人ホームには、幸せなスタッフの存在があって初めて成り立ちます。わたしは、スタッフが いつでも笑顔満開 で働ける環境にすることで、利用者様、家族、そして地域の皆様へその幸せの連鎖をつくっていきたく思います。

ミニ特養 みのわの里三山 は設立後まもなく、至らぬところもあるかと存じますが、温かいご支援及びご指導いただきたくお願いします。

​社会福祉主事 / 事務長 天田

介護福祉経営士(1級)

終活ガイド上級(1級)

ファイナンシャルプランナー(AFP)​

My Story

​初めての看取りは、父親でした

ステージ4の末期癌を患っていた父は、自宅で母と5年近く闘病していました

いつしか、牛丼特盛を完食するくらい大食いだったのにどんどん食欲が無くなり寝たきりに

本当は誰よりも優しく家族想いなはずなのに、働きながらも自宅で介護を頑張る母に心無い罵声を浴びせたり

実家に帰るたびに変わりゆく父と母をみて、言葉にできない感情を抱いていました

ある日、病院の主治医に呼び出され、私たち家族に余命があと3週間と知らされました

自分の思うように体が動かなくなっていく父は、きっと命が短いことを勘付いていたはずです

 

それでも1日でも長く生きたいと、希望と寂しさを滲ませた瞳で訴えられました

父のいつまでも諦めない意思を家族全員で受けとめます

自分らしく生き続けるための生活リハビリを行うために

三山の老人ホームに入居することを決意しました

老人ホームへ移ってからの父は、体を戻すために自分でできることは自分でやり

自宅にいたときよりも明らかに回復し、食欲も旺盛になっていました

父は、喧嘩ばかりしていた母へ甘えることを覚えます

母も介護の負担が減り、いつもの仲睦まじい夫婦の関係性へと戻りました

ただ、それでも危篤状態には何度もなりました

その度に、スタッフが痛みのある箇所を手でさすったり、優しい声かけをしたり

もう一つの家族のように丁寧に最期まで支えてくれました

あの日、父が好きだった"壊れかけのRadio"を聴きながら、強い呼吸を数回してこの世を去りました

目には涙の跡が残っていました。納棺師が言うには、涙を流して亡くなる方はほとんどいないと

きっと、幸せの涙を流せたのではないかと思っています

最初の看取りは父でした

これから たくさんの入居者さまの人生の最期に寄り添います

わたしは自分の家族を大切にしたように、入居者さまとも 幸せな時間を一緒に築いていきます

そんな自分を 天国にいる亡き父 も応援していると信じています

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