なぜ備蓄米はあるのだろう?
- 広 天田
- 1 日前
- 読了時間: 3分
私たちの施設では、毎日のごはんが、入居者さんの健康を守り笑顔の源となっています。
ごはんの香りが漂ってくると、なんだかホッとする。そんな日常の風景が、どれだけありがたいものかを、福祉の現場にいるとしみじみ感じます。
そんななかで最近、「米の価格が高いから、備蓄米を放出して安くする」というニュースが報じられました。
たしかに、物価が上がると家計は苦しくなります。
でも、だからといって“いざというときの備え”を安易に使ってしまって本当に大丈夫なのでしょうか?
備蓄米は、だれかの「最後の安心」かもしれない
備蓄米は、本来、災害や大きなトラブルが起きたときに、食べるものが手に入らない人たちを支えるためのものです。
私たちのような高齢者施設では、台風や地震などで物資が届かなくなった時にも、入居者さんにごはんを提供し続けなければなりません。備蓄米は、そういうときに“いのちをつなぐお米”になるのです。
もし、価格を下げるために備蓄米を使い切ってしまったら――
本当に必要なときに「もう無い」ということになりかねません。
ある入居者さんの言葉が、心に残っています。
「食べるものが高くたって、あるうちはまだいい。
でも、無くなったら、お金も宝石も役に立たないんだよ。戦後はそうだったからね。」
80年以上前の記憶を、静かに語ってくださった入居者さんの言葉。
その重みを思うと、「米がある」ということがどれほどありがたいことか、あらためて考えさせられました。
じゃあ、どうすればいいのか?
私が思う一番の解決策は、とてもシンプルです。
「価格調整用のお米」と「いざというときの備えのお米」は、ちゃんと分けて保管・運用すること。
これは、韓国などの国でもすでに取り入れられている方法です。
たとえば――
日常の価格調整には「政策備蓄米」を使う
災害や大きな不作に備える「国家備蓄米」は、原則として放出しない
両者の区別を制度として明確にする
そうすれば、必要なときに必要なお米がちゃんと届くし、無くなる心配をせずに「いま」を生きることができます。
ごはんがあること、それが何よりの安心
ごはんが炊ける匂い、温かい湯気、みんなで囲む食卓――
それは、決して当たり前じゃなく、「守られているからこそ」あるものです。
備蓄米は、目に見えないところで、その日常を支えてくれています。
だからこそ、価格だけを見て判断するのではなく、“誰かの命の備え”として、丁寧に扱ってほしいと心から願っています。
施設で暮らす入居者さんの声、福祉の現場で働く私たちの実感が、これからの政策を少しでも温かい方向へ導くことができたら――
それはきっと、未来の安心にもつながっていくと思うのです。
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